和菓子屋が守る3つのきずな・スバル最中

 


伊勢屋の矜持は餅菓子にある

 

月にはうさぎがいたはずよ

 

高齢の男性のお目当てはスバル最中ではなかった。

 

「きんつばを3つ、ちょうだい。甘い物がやめられなくてね」

 

岡田喜浩は、私の取材の席を立って、高齢男性のためにきんつばを包んだ。

 

けっして高価ではない、きんつば3個。

 

「ありがとうございます」

 

と岡田喜浩は笑顔で客を送り出す。

 


菓子職人の“手加減”がふわりとした味を生む

 

伊勢屋は関東でのれん分けによって、拡大した和菓子の老舗である。あんと餅、あんと皮がメインの菓子屋だ。

 

チェーン店ではない。それぞれの伊勢屋は独立経営をしている。独立をするためにはもちろん、跡継ぎをするためにも、2年以上は、他の伊勢屋で修行をしないと看板を継げない。

 

関東で「三河屋」といえば酒屋であるように、関東で「伊勢屋」といえば和菓子屋である。そこに誇りがある。

 

10月21日は十三夜であった。伊勢屋の店先にはすすきが置かれ、岡田喜浩と、伊勢屋の職人・青木博が、月見団子を作る。

 


作りたての和菓子を配達に出かける伊勢屋・岡田喜浩

 

すすきは、持ち帰り自由で、月見にそなえるために用意されている。

 

「うちはハロウィンの菓子は作らないんです。十三夜の月見団子です」。

 

段ボール箱に詰め、岡田喜浩は配達に出かけてしまった。

 

「私が若い頃は、月にはうさぎがいたはずよ。いまはロケットが行くでしょう。お月様の顔はクレーターとかで、でこぼこだって、そんなことを調べて、人間は何をしたいのかしら。80年以上生きてきて、そこのところが分からないわ」

 

岡田キヨは、岡田喜浩の母である。

 

岡田キヨと筆者とできたてのみたらし団子

 

すべての和菓子を作る小さな工場の片隅で、みたらし団子を焼いてくれた。

 

伊勢屋2代目、岡田浩吉の妻である。

 

「私とお父さんとでお店をきりもりしていた時代には夜の12時までお店を開けていたものよ」

 

忘れられないのは、お盆休みと年末年始の客だという。

 

「期間工といって、東北とかからいわゆる出稼ぎにスバルの工場で働いている人たちが、“スバル最中をお土産に持っていきたい”と言って、たくさん買って行ってくれたの」

 

帰省の季節を迎えて、伊勢屋でスバル最中を買い求める客たちは列をなした。
「SUBARUで働いていて、こんな自動車を作っているんだぞって誇らしく胸をはって故郷に帰っていたんでしょうね」

 

岡田キヨから昭和高度経済成長時代の話を聞いているところへ、スバリストの夫婦が揚々として伊勢屋を訪れた。

 


あの頃のスバルと現代のスバルとが包装紙に交差する

 

SUBARU自動車を愛する人たちはスバリストと呼ばれる。

 

名古屋から車を走らせてきたという。二人を乗せてきた愛車はもちろんSUBARUである。

 


 

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