破ることで守る伝統工芸 蒔絵師・野村大仙の挑戦

 

 

心身の養いが職人魂を支える

 

野村大仙が息を弾ませる。
薪割りは、野村大仙の趣味である。趣味であると同時に自らに課す過酷な肉体鍛錬だ。
「一日中、目をこらして、指先に神経を集中させて仕事をしとると、身体が縮こまって、小さな世界に閉じこもってしまう。気持ちがクヨクヨするもんだから」
樹木に囲まれた、大きな世界に身体を解放する方法が、薪割りなのである。
「集中力を維持するみなもとは、どうしても体力っちゅうことになる。身体が元気でないと、細かな仕事はできんようになるで」
工房兼自宅の玄関先には、野村大仙が斧を入れた薪片が積み上げられている。

 


野村大仙の工房兼自宅の玄関

 

ときには、里山の新緑の道を歩き、遠くの山を近くの草花を目にしながら澄んだ空気を吸い込む散策もまた、肉体と精神を養う大切な時間となる。
薪割りも里山散策も休息ではなく、心身の養いである。
「養う」には命の維持につとめるの意味があり、活動を停止させてしまう「休む」とは、似てまったく非なる行いである。休息と、保養は違うのである。

 

薪割りに息を弾ませ、心身を養う

 

野村大仙は、休んでなどいない。身体を動かしていないと気がおさまらないという。
「あれこれせんと、蒔絵は跡形もなく消えてしまうで」
手打ちそばを打っていたこともある。
土日限定で、手打ちそばの店を開き、客にふるまっていた。

 

大きな木鉢に漆塗りを施し、木鉢の外側にも、木鉢の縁にも蒔絵を施した。
客が手に持つそば猪口のひとつ一つにも、蒔絵で装飾をした。
「そばを食べに来てくれたお客に、蒔絵ってどういうもんなんか観てもらおうと思って」
蒔絵の職人技に気がついてもらって、作品を注文してくれるのを期待したのである。
「皆さん、そばを食べるのに夢中だったようで……」
蒔絵への発注は来なかった。

 

蕎麦鉢には、自ら蒔絵の装飾を施した

 

スマートフォンの裏側に、蒔絵を施そうと企画したこともある。
エレベータの扉に蒔絵を施そうと提案したこともある。
「現代に使われるモノを、蒔絵で飾ったら伝統工芸として生き残れるのではないか」
野村大仙は深刻な危機感で、現代と蒔絵のマッチングを模索していたのであった。

 

自宅から少し離れて里山を散策する

 

手打ちそばをふるまったのも、スマートフォンに、あるいはエレベータの扉に蒔絵を施そうと提案したのも、野村大仙の時代へのあらがいと、歩み寄りとの葛藤だった。
野村大仙は、さすらい続ける蒔絵師だ。
嵐の中で、雨に打たれながら、糸が切れないように、必死に凧を操る少年のように。

 


 

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