やまと園のハウス内には高い湿度や温暖な気候を好む盆栽が並ぶ
手のひらの上の大樹
つらい会社勤めからの現実逃避に、盆栽の手慰みは続いていた。
青春の門が叩かれる。登竜門が眼前に大口を開けて現れる。
盆栽への愛情が、会社員として勤務することよりも、山崎ちえの内側で大きく膨らんだのだ。いてもたってもいられなくなったのだ。盆栽への愛情が、山崎ちえの内側ではじけたのだ。
広瀬幸男は公益社団法人全日本小品盆栽協会の理事長を務めた、神奈川県大和市にある『やまと園』の主(あるじ)である。山崎ちえは、やまと園の門を叩いた。
「その気になったら、またいらっしゃい」
そう言う広瀬幸男に、山崎ちえはこう返答した。
「もう会社を辞めてきちゃったんで、明日からでも来られます」
登竜門。プロの職人として生きていく登竜門。
人混みに紛れて満員電車に揺られていた山崎ちえが、高い滝の激流に身を躍らせるがごとく、プロの盆栽師を目指したのは2009年のことだった。
オドオドと、突然ひらけた盆栽への道にまずは驚き、気がつけば全身は震えていた。
黒松の芽切りをする広瀬幸男
多くの人がイメージするのは、大品盆栽だろう。
盆栽は、大きさによって次のようにグループが分かれる。
豆盆栽・ミニ盆栽(樹高10cm未満)
小品(しょうひん)盆栽(樹高10cm~19cm位)
ここまでが片手で持てるサイズである。
貴風(きふう)盆栽(樹高20cm~34cm位)
中品(ちゅうひん)盆栽(樹高35cm~40cm位)
大品(だいひん)盆栽(樹高40cm以上)
やまと園に置かれている盆栽の9割は小品盆栽だ。
しかしどうして小品盆栽を手がけるのかを、私は広瀬幸男に尋ねた。
「コンパクトに、それでいて大樹にも見えるように作り上げるのは、じつは難しい。だからプロとしての手腕が問われるのは、小さな盆栽なんです」
山崎ちえは遠くから近くから広瀬幸男の手仕事を観察して学び続けた
広瀬は、盆栽を生きものとしてとらえるべきだと、私に力説した。
「盆栽は水をやったり、剪定したり、肥料をやったりして世話をしないといけない。イヌやネコと同じで、世話を放棄したら死んでしまう。いや、イヌやネコなら自分でエサを探しに行けるし、水を飲みにも行ける。盆栽は動くことができない生きものです。水を一日、与えないだけで死んでしまう。一日で枯れてしまうんですよ」
私は広瀬幸男が手にしていた盆栽に近づいてみた。
なるほど、山崎ちえが言うように、樹木の香りがする。
と同時に、土の香りがする。湿った土の香り。雨上がりの樹の香りだ。
見た目だけが盆栽なのではない。
香りや、樹に触れる感触を超越した、世界観のまとまりが盆栽の魅力なのかもしれない。
豆盆栽や小品盆栽が小型犬だとしたら、大品盆栽は大型犬なのだろう。
そこに人々を魅了する嗜好の違いが表れるのだろう。
手ほどきとは自分の手仕事をほどいて指導すること
鑑賞する置物の植物が盆栽だと思っていた私は、じつは盆栽を枯らしてしまった過去がある。真伯という松の仲間の盆栽は、気に入っていただけに心が痛んだ。
「樹がかわいそうって思うのは、日本人の感覚なんでしょうか」
取材の最中に、山崎ちえはふと私に尋ねた。
盆栽を枯らしてしまった私には、何とも後ろめたくて返答ができなかった。
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