平らな銀盤を槌で打ち出して、曲面に仕上げる 笠原銀器

 

職人技に化学の裏付け

 

私は、スターリング・シルバーの万年筆とボールペンをスーツの内ポケットに忍ばせていた。
自分で銀磨き布を使って、たまに黒ずみを落とすケアを繰り返していた。

 


ぐい飲みは経年変化でいぶし銀に変わった

 

銀の専門家である笠原信雄に、スターリング・シルバーの筆記具を見せるのは恥ずかしかった。それでも、恥を忍んで銀の筆記具を取り出した。

 

自己流の手入れは正しいのかどうかを知りたかったからだ。

 

「まぁ、良い色の“いぶし銀”になっているじゃないですか。大事に使っている証拠だね」

 

と言いながら、ぬるま湯に重曹を溶かした液体で、磨き始めた。

 


すじには硫化の黒ずみが現れ味わいは深まる

 

「昔は“貧しい人なら金を持て、経済的に余裕のある人なら銀を持て”と言われたんですよ」

 

金なら、手入れをしなくても輝きは保てる。しかし銀は手入れを怠ると黒ずんでしまう。

 

「たとえば銀食器なんかをたくさん揃えている貴族、華族の家には、使用人がこれまたたくさん暮らしていて、常に銀器を手入れしてくれたり、磨いてくれたりしたもんですよ」

 

銀器を持つことは経済的に余裕のある人のステータスだったというのだ。

 

「銀磨き布は、研磨剤が含まれていて、表面をこそぎ落としているんですよ。だから黒ずみが落ちないときの最後の手段だね」

 

つまり私の手入れ方法は、荒っぽいばかりで、間違っていたことになる。

 


彩色は漆で施される

 

黒ずみは錆ではない。銀の変色はほとんどが硫化だそうだ。空気中の硫黄に反応して黒ずむ。
もうひとつ銀が変色する理由は塩化だそうだ。ちなみに錆とは酸素が原因の酸化である。

 

「化学反応を知っていないと、銀を扱うことはできないですよ。私なんかは高校時代の化学の教科書をまだ保管していますもん」

 


打点の跡が手作りの証し

 

化学知識は、銀器の接合にも活かされる。

 

鑞付けとは、金属と金属をロウと呼ばれる合金を接着剤として溶接することである。

 

急須を例に挙げれば、注ぎ口と取っ手は、叩き出した後に胴体と鑞付けするのだが、フラックス(接着促進剤)のガラス繊維によって、接合部の溝を走る。そこに鑞が入ってゆく。
接着する鑞は表面張力で丸く盛りあがる傾向がある。

 

フラックスは表面張力を抑える働きもする。

 

次に希硫酸に入れてガラス繊維を溶かして流す。

 

「やすりをかけるときに、ガラス繊維が残っていると銀が傷ついてしまうんですよ」

 


取っ手の鑞付けには化学の知識が欠かせない

 

鑞付けする前の、注ぎ口の加工に笠原信雄は余念がない。

 

手のひらに包み込んだ注ぎ口を小さな金槌で微細に打ち出していく。
あて台の代わりを、笠原信雄の手のひらが果たしている。

 

手のひらのカーブに合わせて、金槌を打ったときの反動で注ぎ口のカーブを曲げ出してゆくのだ。

 

閑かに境目が塞がってゆく。成形した注ぎ口を針金で縛り、またバーナーの炎にくべる。

 


水に溶かした重曹で磨くと輝きがよみがえる

 

「針金で縛っておかないと、熱せられたときにバネの原理で、つなぎ目が開いてしまうからね。あっ、こりゃ化学じゃなくて物理学だな」

 

と笠原信雄は、またあて台の前にどっかりとあぐらをかいて座った。

 


 

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