伝統と変革を綾なす江戸組紐 龍工房

 

 

しとやかな手組から生まれる組紐

 

音がない。
 

組紐職人・福田隆が指揮者のような手さばきで絹糸を組み合わせて紐を編んでゆく。
 
いや、正しくはやはり組むなのである。
 
丸台と呼ばれる組台に、ぶら下げられた糸玉に色彩が交差する。
 
糸玉はぶつかりそうで、ぶつからない。
 
丸台の中央を飛び交う糸玉が、丸台の脇に落ちるときにも、やはり音がしないのである。
 


丸台で組む。指先の力加減に注目
 
「丸台の天板を“鏡”と呼びます」
 
と静かに組紐を組みながら、福田隆がつぶやく。
 
明鏡止水。清浄を重んじるのが伝統だという。
 
ここは、江戸組紐を作る『龍工房』である。福田隆は龍工房の当主だ。
 
糸を組む。糸を編む。糸を織る。
 
言葉に表しただけでは、この違いを明確にはなかなか棲み分けられない。
 


丸台で組んだ紐は鏡の中央から台の下に伸びる
 
「組む」とは「手足を組む」「ひと組になる」「石垣を組む」など、物を同一化する意味がある。「手足を編む」「手足を織る」とは「ひと編みになる」「ひと織になる」とは言わない。
 
「組み立てる」とは言うが「編み立てる」とも「織り立てる」とも言わない。
「組む」は、単独動作で成り立つ工芸の手法である。
 
人はまず「組む」ことから、工芸の歴史を、文化をスタートさせ、発展形を綴ってきたのだ。
 
編む、織るが現れたのは、それより後世だった。
 
飛鳥・奈良時代の唐組の垂飾や、正倉院宝物の竪琴の組紐、平安時代の経巻の組紐、鎌倉時代の鎧胴締の緒(組紐)、武家の刀剣の紐、江戸期を経て平成時代にまで、組紐は日本の歴史に寄り添うように、連綿と伝えられてきた。
 
「編む」「織る」の技法が現れても、「組む」紐の技法は滅びなかったのである。
 
いま私たちが見る組紐の台は、江戸時代に考案されたものがほとんどだという
 
では、江戸時代以前の組紐は、どうやって組まれていたのだろう。
 

丸台で組紐を組む福田隆
 
「糸をひとり一人が持って、ポジションを変えて、それこそ一糸乱れぬチームワークで組んでいたのでしょう」
 
と福田隆は、いにしえに想いを馳せる。
 
人が1組にならなければ組紐は作れなかったのだ。まさに“組織”で組んでいたのだ。
 
組紐はかつては高貴な身分にだけ許された工芸品だった。
 
「奥州中尊寺の藤原秀衡公の、即身成仏の遺体に飾られていた組紐を復刻したことがありますが、極楽浄土に導く懸守の組紐でしょうね」
 
現在では、組紐は和装の帯締めとして一般庶民にも広まった。
 

 
和装は伝統的な日本の衣装で、古くから帯締めには組紐が添えられていたとイメージする人は多い。ところが紐解くと和装に組紐が使われるようになったのは、江戸後期から明治にかけてと、その歴史は意外にも近い。
 
「組紐は世界に誇る日本だけのアクセサリーです」
 
指輪やネックレス、ブローチなどの硬い宝飾品に比して、組紐の帯締めは、しとやかさと、和らぎが糸によって和装に華を添える。
 
たしかに日本的な奥ゆかしのアクセサリーだ。
 
福田隆の所作には、やはり音がない。
 
精神を研ぎ澄ませて、福田隆は絹糸に何を組んでいるのだろう。
 

組み上げられた帯締め用の組紐たち
 
それは「むすひ」ではないかと、私は思った。
 
「むすひ」の話をする前に、龍工房での職人技に迫ってみよう。
 


 

問い合わせ窓口:一般財団法人雇用開発センター
問い合わせフォームか、03-5643-8220まで