日本の原風景を象徴する茅葺き屋根

 

それでも見て覚えろのスピリッツ

 

江戸達郎の手にした、がき棒が葺いたばかりの茅の穂先を叩く。

 

がき棒は葺いた茅の表面をそろえるための道具だ。

 

トットットと冬の曇天にその音が響く。

 

その音が鳴り終わると、廣山美佐雄が仕上がり具合を見る。

 


がき棒で屋根を整える廣山美佐雄

 

廣山美佐雄が、がき棒を手に茅の穂先を叩く。どうやら穂先だけではない。

 

茅葺きの表層を整えている。響く音が小さい。

 

気がつけば、野バサミの使い方も違う。

 

2人の弟子は、茅を切るときに野バサミの刃を大きく広げる。ザクザクと音がする。

 

廣山美佐雄は、野バサミの刃をあまり広げない。

 

必要最小限の幅に刃を広げ、ザッザッと茅を切ってゆく。

 

その野バサミを砥石で研磨するときにも、同じだった。

 


野バサミで茅の穂先を揃える様子は散髪のようだ

 

砥石を水に浸ける。廣山美佐雄の手から滴り落ちる水滴は少ない。

 

動かす砥石を握る手は、ゆっくりだが、小刻みだ。

 

研ぐというより、なでると言ったほうがふさわしい。

 

茅葺き屋根の上を丸太の足場を踏んで登り降りするときに、全身がほとんど揺れない。

 

高い足場なのだから、注意を払おうとすれば、バランスをとるために上半身は揺れる。

 

私が、足場に登らせてもらったときには、ノートを手にした身体がずいぶんとよろけた。

 

江戸達郎の上半身は、私よりも揺れない。渡辺大の上半身は江戸達郎よりも揺れない。

 


弟子が揃えた茅の穂先をさらに廣山美佐雄は微調整する

 

「それが経験値の差なのだろう」

 

と察することはできるが、しかし野バサミを使うときも、がき棒を叩くときも、野バサミを研ぐときにも、廣山美佐雄は弟子たちに注意はしない。昼休憩に廣山美佐雄がボソリと言った。

 

「野バサミが切れなくなるのは、丸く研がないからだ」

 

たったひと言の、つぶやきだった。

 

渡辺大は、そのひと言に、廣山美佐雄の手元をサッと見た。

 

江戸達郎は、自分の野バサミを研ぐのに夢中だった。

 

「廣山さん、まだまだゆっくりとはできないですよ」

 

と渡辺大は、また自分の野バサミを研ぎ始めた。そして私に向かって、

 

「江戸は一生懸命ですから、仕事の合間に世間話をする余裕はないんですよ」

 

と笑って見せた。

 

技能の継承とは、このように伝わるのかと気がつかされた瞬間だった。

 

必死にくらいついて、技能を見て学ぶ。それが後進の職人がたどるべき道だと世間では思う。


野バサミの刃を研ぎながら、廣山美佐雄から仕事についてのアドバイスが語られる

 

渡辺大は、親方の仕事を見て学ぶ余裕を持っているが、見ただけでは真似ができない親方の神域を自覚してもいるのだ。

 

必死に職人技を学ぶ。言われたことをこなす。見て覚える。感じて覚える。

 

余裕がないくらい、必死で道を歩まないと、その余裕が生まれない。

 

江戸達郎は、余裕を得る前の必死の道の上にいる。

 

「若い者には丁寧に説明して、技能を覚えてもらうのが現代の教え方です」

 

と、おだやかに言葉にしている廣山美佐雄も、口伝だけでは伝えきれない技術を、やはりどこかで、「見て学べ」「身体で覚えろ」「五感を駆使して工夫しろ」と思っているはずなのだ。

 


茅葺き屋根の葺き替えは冬をピークに行われる

 

江戸達郎の数年後には、野バサミを研ぎながら、誰かに微笑み返す日が来るのだろう。

 

廣山美佐雄の育成手腕もまた、名匠なのだと私は思った、

 


 

記事内容に関する問い合わせ窓口:一般財団法人雇用開発センター
問い合わせフォームか、03-5643-8220まで