凍れる旋律のような美が宿る日本刀・刀匠、川崎晶平


 

精神性の本質

 

「よしっ」

 

とまた晶平が言う。

 

鉄板を炉から引き出す。すかさず、藁灰をまぶし、甕の泥をかける。

 

一瞬の時間を逃さないように、赤く焼けた鉄板を鎚で叩く。

 

赤い鉄板(てついた)にくさびを打ち込み、切れ目を入れて、折り重ねる。

 

「よしっ」

 

と折り重ねて、叩いた鉄板を炉に戻す。

 

「いいぞっ」

 

と晶平はまた、自分を鼓舞するように言った。独り言だった。

 

いや、違う。鼓舞や気合いや確認のための独り言ではない。

 

晶平は、刻々と変化を続ける鉄に、やがて日本刀へと変貌する、その鉄塊に声をかけているのだ。

 


何回も炎にくべられる鉄塊は、やがて凜とした日本刀に姿を変える

 

-よしっ、いいぞっ……。お前は立派な刀になる-

 

という思いを言葉に発しているのであろう。

 

晶平は成熟を続ける鉄板に、まだ赤々と焼けている鉄板に鋲を打ち込んで、その上から鎚を打つ。

 

「鍛錬のときに、穴を開けて内部の気泡を追い出すのです」

 

視線は鉄板に注いだまま、私たちを見ずに、独り言のように言った。

 

そうだ。叩いているのではない。鉄を鍛えているのだ。

 

日本刀として、ふさわしい鉄の成分に成長するように、鍛えているのだ。

 

「よしっ」

 

という独り言は、鍛えている鉄への問い掛け(enquiry)だったのだ。

 

一振りの刀は、およそ1キログラム。

 

しかし一振りの刀を鍛え上げるには6キログラムの鉄塊が必要だという。

 


素延べという手順。しだいに長く伸ばされていく

 

晶平の刀工への経歴は面白い。大分県出身で、東京の明治大学政経学部に学んだ。

 

大学四年生のときに、東京上野の国立博物館で、正宗などの名刀を鑑賞した。

 

正宗は鎌倉時代末期に「相州伝」と呼ばれる作風を確立した刀工である。

 

日本刀の歴史においては特徴的な作風をそれぞれ「山城(現在の京都府)伝」「大和(現在の奈良県)伝」「備前(現在の岡山県)伝」「美濃(現在の岐阜県)伝」「相州(現在の神奈川県)伝」と称してきた。正宗はこのうちの「相州伝」の代表的な刀工である。

 

晶平は居合道を学んでいた。真剣を使って修行することもあった。

 

「しかし私が使ってきた真剣とは、別格でした」

 

正宗の刀に、美しさと品格を見いだした。

 

一年間サラリーマンを勤めたが、

 

「品格の高い日本刀を作りたい」

 

その夢を忘れがたく、一九九四年に、宮入小左衛門行平に入門する。正宗の流れをくむ相州伝の門下に入ったわけである。

 

「炭切りをしたり、円座を編んだりした修行時代でした。師匠から言われたことは“端正にしろ”でした」

 

1999年、文化庁より作刀承認を受ける。

 

晶平の刀工名は、師匠の行平の父親の昭平に由来して名乗ることになった。

 

ここから川崎晶平はメキメキと実力を発揮し始める。

 

同年の新作刀展覧会に初出品した刀が優秀賞と新人賞を受ける。

 

二〇〇三年に晶平鍛刀道場を構えて独立。

 

新作刀展覧会で、特賞、文化庁長官賞を受賞。

 

二〇一一年、二〇一二年、二〇一四年。刀職技術展覧会で特賞一席・経済産業大臣賞を受ける。

 

二〇一三年にはベトナムのホーチミン市で作品の展示と講演をこなす。

 

二〇一四年にはスペインのマドリードやバルセロナで、エヴァンゲリオンと日本刀展に作品を展示し、講演を行っている。

 


濡れたハンマーで叩くと、水蒸気爆発を起こして不純物が除かれる

 

「アニメがきっかけでも、ゲームがきっかけでもいいんです。そうしたカルチャーから日本刀の世界に入ってきてもらって、やがては本質的な日本刀の美と品格とを愛してくれる人たちが広まっていってくれれば、という思いから日本を世界を飛び回っているんです」

 

私たちの取材を受けてくれたのも、同じ思いからなのだろう。

 


鎚で鉄を鍛える。濡れた藁箒から湯気があがる

 

日本刀を鍛錬する工程は、本来が秘伝で公開することはない。

 

一振りの日本刀を作り上げるには、最短でも二週間はかかる。

 

「日本刀と聞くと、戦国時代の合戦や、江戸時代の武士が実戦で斬り合ったというイメージをもつ人は少なくありません」

 

しかし足軽のような雑兵が斬り合いに使った刀は、美や品格を問わなかった。名刀として現代にまで伝わる古来の刀は、高貴な身分の人が、守り刀として大切にした。

 

何から守るのか。それは悪しきものから自分を守るためだった。

 


円座の上ですべての作業は行われる

 

「端的に語れば、病魔などから身を守るために、清らかな日本刀を身近に置いたのです」

 

祈りの奥に秘められた精神性を重んじたのが、本来の日本刀なのである。

 

「武器としての側面だけが日本刀として見られてきたのであれば、私が現代においてなお、日本刀を作る意味そのものが存在しないことになります」

 

そうした精神性を内側に秘めた伝統のうえに晶平は今日も現代の日本刀を鍛えるのである。

 


 

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