凍れる旋律のような美が宿る日本刀・刀匠、川崎晶平

 

 

日本刀に大自然と宇宙とを観る

 

日本の精神性が日本刀には宿る。日本人である私は、その言葉をどこか想像に近い感覚で理解しつつも、実感としてその精神性をとらえることはこれまでなかった。何より日本刀に触れる機会がなかった。

 

多くの日本人も同じであろう。

 

東京上野にある国立博物館には、歴史に名を刻んだ日本刀の名刀が展示されている。

 

私はそれを眺めて、戦慄に似た美しさに感動したものであった。それでもなお、さらに奥深い日本刀の精神性とは何かを実感するまでにはいたらなかったのである。

 


日本刀は暖色電球の明かりに照らして鑑賞する

 

埼玉県に住む、刀匠・晶平(あきひら)、本名・川崎仁史の日本刀を見たときに、感性や技術を超えた自然の美が刀身に宿っていることに感嘆した。

 

これは人間の作った美を超えた何かが宿っている。そう思った。

 

「どうぞ、刀身を持って、裸電球の光に照らしてみてください」

 

まさか、触れさせてくれるとは思わなかった。

 

そのときに、私にとっては初めて、日本刀の精神性の一端を実感することになった。

 


垂直のあとは水平にして鑑賞する

 

見た目ほどには重くない。1キログラムほどだろうか。

 

左手で柄を握り、右手にふくさ布を添え、その上に刀身を置く。

 

見ていたときとは異なった感覚を覚えた。心身に訴えかけてくる美だった。

 

手にした瞬間に、躍動や戦慄といった動の心の動きがまず訪れ、手にし続けるうちに、心が澄んでいった。静の心の動きが、閑かに私の身体中を包み込む。

 


刃文が美しく波を打ち、錵が綺羅星のように美しくきらめく

 

躍動する美と、静寂を誘う美。

 

美の多くは、芸術家、美術家の感性や技術から生まれるが、自然が生み出す美には、壮大な躍動と深淵な静寂が同居し得る。

 

日没の雄大な景色しかり、山岳の景観しかり、滝の落下しかり、波紋しかりである。

 

そうした美の在り方を考える。人為的な美と自然の美との境界がうかがい知れないのが、日本刀の美なのではないかと考える。渾然一体。剛柔放散。凍れる旋律。

 

この日本刀には、人間の作った美を超えた何かがたしかに宿っているのである。

 

刀身の刃文には、打ち寄せては引いてゆく波のリズムが現れている。

 


研ぎ澄まされた切っ先

 

ゆったりと寄せる波のような刃文は、湾(のた)れ刃と呼ぶ。

 

見たときには黒く見えるばかりだった地鉄は、手にして眺めると碧黒色だった。
板目肌の模様が美しい。

 

そこに錵(にえ)が碧黒色の空にきらめく星のように輝く。

 

錵とは、地肌および地肌と刃部との境目にそって銀砂をまいたように,細かくきらきらと輝いているものを呼ぶ。日本刀の鑑賞での重要な要素のひとつだ。

 


日本刀を鍛える道場(工房)に立つ川崎晶平

 

裸電球の光にかざして見ると、空と星と波が、雄大な景色のように、私を包み込む。

 

自然とも宇宙とも呼んでみたいが、絵画と違って、私の身体と刀身とが一体になる感覚がある。そして心が澄んでゆくのだ。

 

日本刀の精神性とは、こうした景色をいうのかと目を細めると同時に、こうした感覚をいうのか、と肉体の芯の琴線に触れる感動を覚える。

 

触れれば斬れる日本刀ゆえに、手にする緊張感にも、精神が研ぎ澄まされてゆく感覚が私を包む。

 

この日本刀は、どのようにして創り出されるのか。いや、産み出されるのか。

 

私たちはその技術を見せてもらうために、工房である晶平鍛刀道場を訪ねることにした。

 


 

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