悟られない義手、義指・平岡製作所


 

天才職人に続く道

 

平岡敬悟の経歴は面白い。

 

子どもの頃は図画工作や美術、そして理科系が得意だった。
大学を卒業すると、医療機器の外資系大手企業に就職した。 MRIやCTスキャン、レントゲン機器その他の医療機械を保守するのが平岡敬悟の仕事だった。

 

理科系のとくに医学知識を必要とされる仕事で、平岡敬悟は、病院や医療機関によく出向いていた。

 


自分にしかできない仕事を

 

3年目のある日、とある病院の医療機器が壊れた。修理に向かった。故障した部品そのものを交換する必要があった。
いざ、部品が届いて入れ替え、ボタンを押した。
医療機器は正常に機能するようになった。

 

技術者としては優秀であった。

 

しかし自分の優秀さに、満足感がなかった。

 

「僕じゃなくても、この作業はできるな」

 

医療機器のメンテナンスには、自分を活かすという達成感がなかったのである。 転職するにしても、医療系の仕事に就こうと思った。

 

義肢装具士は日本では国家資格を取得しないとその職に就くことはできない。

 

平岡敬悟は、その国家資格に挑戦した。

 


表側からも着色する。

 

義手や義足、装具を作って、それを必要とする人たちとのマンツーマンのふれ合いに自分を活かす道があると信じた。
義肢装具製作所は、全国各地にある。それぞれが得意とするものは、義足であったり、義手であったりする。

 

筋電義手のような可動する義手が得意なところがある。

 

義足でも、ひざ下切断の義足の作り方と、ひざ上切断の義足の作り方は、人間工学的に違いがある。

 

どこの義肢装具製作所でも、義手、義足、装具の全般を引き受けるが、内情では義手が得意なところがあり、義足が得意なところがあり、装具が得意なところがあるというように、エキスパートはジャンルごとに点在しているのである。

 


手や指、切断端の石膏モデル

 

通常であれば、義肢装具士として師匠のもとで一人前になるには8年から10年はかかる。
平岡敬悟はひとりの師匠に2、3年師事すると辞職した。

 

次の技能を求めて、別の義肢装具士のもとに入門した。

 

それを繰り返し、義肢装具製作所を次々に渡り歩いた。

 


義耳たちの表情も様々

 

2014年に、33歳の若さで、Atelier Naturalを開業した。
この経歴には、平岡敬悟の職人哲学がある。

 

「ひとりの師匠に師事して、100パーセントの技能を身につけるには、やはり10年はかかると思うんです」

 

長きにわたる修行を平岡敬悟は決して否定はしない。

 

「しかし最初の2、3年で80パーセントまでの技術は追いつけるんですよね」

 

残りの20パーセントの技能を身につけるために、残りの7、8年の修行が必要になるというのだ。

 

こうして得られる完全コピーの技術は、師匠のコピーでしかない。そういう道を歩むことも平岡敬悟は否定しない。

 

「でも僕は、現状の義手、義指の技術には満足できなかった。いろいろな師匠から学んだ技術の上に、もっと積み上げた技術で仕事をしたいと思っていたんです」

 

トップを極める職人が生まれるためには、平岡敬悟のような限界を超えた向上心が必要なのだ。

 

平岡敬悟はいわゆる天才なのだろう。

 

生まれついての才能を天才と評価したがる人がいる。
私はそうは思わない。

 

その理由を平岡敬悟は体験談として代弁してくれた。

 


義指の指先の表情

 

「最初の2、3年で積み上げられる80パーセントの技術を師匠から学ぶためには、100パーセントの努力では駄目なんです。150パーセント、いや200パーセント以上の集中力と、技能の復習、つまり稽古に次ぐ稽古を自分に課せないと追いつくことすらできません」

 

ひとりの師匠に就いて、ひとつの長い道を追求して、突き抜ける。そこに花開く職人技もある。美学もある。

 

いっぽうで、たくさんの師匠に師事して、広い見聞を身につけ、独自の技能を花開かせる。それも職人のあり方だろう。

 

どちらの生き方も、天才という称号に続いている道である。

 


 

記事内容に関する問い合わせ窓口:一般財団法人雇用開発センター
問い合わせフォームか、03-5643-8220まで