色鮮やかに生活を彩る 勝田ナセン

 

 

質素な豊かさをもたらす染め物

 

 染め物の話である。代表例として手ぬぐいを紹介しよう。

 

 木綿布のサイズは、幅1尺(32~35センチ)、長さ3尺(90センチ)で、手ぬぐいの名の通りに手を拭うのが主な使い方だ。つまりは日本のハンカチーフである。

 

 実際、日本に西欧文化が到来して、ハンカチーフが普及する以前は、日本人が外出するときに常備するのは手ぬぐいだった。

 

 東京・八王子に工場を構える勝田ナセンは、染め物工場である。

 

 手ぬぐいに限らず、風呂敷、友禅、半纏、のれん、垂れ幕などを手捺染する。
 木綿、綿、絹など生地も千差万別だ。

 

 手ぬぐいをオーダーメイドして、100本で5万円からの価格だから、手ぬぐい1本は500円ほどからということになる。

 

 手で捺して染めるのである。

 


染め終えた長さ25メートルの布地を天井へと引き上げる

 

 全長25メートルの白い木綿生地が台の上に張られる。台の上には樹脂が塗られている。
 台は45~50℃に熱せられている。

 

 張りは均等でなければ版ずれを起こしてしまう。

 

 仙田利彦は自らがこれから捺染する白地の木綿布を台に張る。数ミリのゆがみも許さずに修正して、25メートルの布地を台に貼り付けていく。

 

 上下に当て布を張る。細い隙間を空ける。髪の毛1本分の隙間だ。

 

 これから染めようとする布は、ぬかりなくピンと張っても、捺染作業中にたわむ。

 

 たわみの矛盾を吸収して収差するのが当て布だ。髪の毛1本分。その隙間を与えるのにも細心の注意が必要になる。

 


シルクスクリーンの版型を布地に載せて捺染する

 

 シルクスクリーンの版型を白地の布に乗せて、スケージと呼ばれるゴム刷毛で染料を布地に捺して染める。配合された染料は糊と混ぜられている。布に染料を糊の成分で固着させてしまうわけだ。

 

 均等に染料を乗せられないと、かすれが生じる。捺す力が強すぎると布地の裏に浸みる。
 単調にスケージを上下させているように見えて、職人は細心の技を布地に染めていく。

 

 下から染料をすくい上げていって、上から下へスケージを下ろす。10~15秒ほどだ。
 場合によってはさらにすくい上げ、すり下ろす。

 

 こうして1色が染められる。染めていく色が多くなると、別の版型をすでに染めた布地の上に重ねて、別の染料の色を捺染する。重ね刷りということだ。

 

 2色染めなら、第二陣の職人が別の版型を布地に乗せて染料をスケージで染めていく。
 大量生産、大量消費は豊かさの象徴であるかのように社会が、そして人々がそれを容認してきた。

 


仙田利彦がこれから染める布地のたわみを修正していく

 

 一方で日本古来の伝統のなかには芸術性が、豊かさが、美が潜み、それを現代においても生み出す職人技は、近寄りがたい羨望のまなざしで遠望されてきた。

 

 なるほど、職人の技術が注ぎ込まれた品物には大いに価値がある。一方で高価になり、広く人々の手に届かなくなる。

 

 刷る芸術布で思い浮かぶのはスカーフやネクタイだろうか。

 

 エルメスのスカーフ、メンズのカレ100などは8万円台から10万円台の価格だ。

 

 では芸術性など求めずに、効率的、画一的に木綿布を白いまま、大量生産と大量消費すれば、それが豊かなことだといえるのだろうか。

 


ひとつの判型はひとりの職人の手によって捺染される

 

 機能性の観点からすれば、手ぬぐいは木綿布が白いままで用は足りるはずである。
 愛着はわかないし、使っていて楽しくない。

 

 楽しくないとは豊かではないと感じる人々の心理の渇望である。

 

 豊かな製品の本質は、使っていて楽しいと感じさせることなのだ。

 

 幅1尺、長さ三尺の木綿布に絵柄を施す。

 

 絵柄が染められて、はじめて手ぬぐいと呼ばれる。

 

 造形と装飾と色彩は、日常生活に楽しいという豊かさをもたらす。

 



製品として完成した染め物

 

 「手ぬぐいも柄が悪いと手を拭かれ」

 

 これは落語家の古今亭志ん生が詠んだ川柳である。

 

 手ぬぐいは、ただ図柄を施せば芸術性を持つというものではなく、職人の緻密な染め物技術によって、豊かさを感じさせる逸品になっていなければ、機能一辺倒の実用としての「手ぬぐい」にしかならないという本質を言い当てている。

 


 

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