ワイシャツという言葉は
ここから始まった・大和屋シャツ店


 

シャツはハサミではなく、包丁で作る

 

29歳の平松慎吾が包丁をシャツ生地にあてて、裁断していく。

 

柄の付け方などは日本刀そのものだ。

 

雨の日に工場を訪ねた。シャツ作りにいそしんでいるのは3人の青年だった。

 

てっきり熟年の職人が働いているものとの先入観は打ち砕かれた。

 


筆者のオーダーしたシャツ生地に包丁を走らせて裁断していく平松慎吾。29歳の若き職人だ

 

手作業がほとんどである。機械で裁断することはない。ハサミも使わない。

 

緩いV字の包丁が生地を裁断していく。薄青色のカッティングマット上に生地がおかれている。

 

欧米ではシャツ生地を裁断するのにはハサミを使うはずだ。

 

シャツ裁断用の包丁は、コノハとかダルマとか呼ばれる専用のもので、日本刀を作る技術で作られている。

 

鉄と鋼が三層になって鍛造され、刃を研ぎ澄ませたものである。

 

この工場では、毎朝、コノハ包丁、ダルマ包丁を研ぐことからその日の作業が始まる。

 


ダルマと呼ばれる独特の包丁

 

私は独特の形をした包丁を使って裁断する理由を考えていた。

 

そのとき、テーブルの前に立って作業をしていた平松慎吾が、突然テーブルに腰掛けて、身体を曲げながら生地にダルマ包丁を操り始めた。

 

「カットを完璧に仕上げるために自然と身体がそう動いた」

 

というのだが、寡黙な平松慎吾は、その理由を語らない。

 

その理由を語ってくれたのは、古永家(こながや)大輔だった。やはり35歳の若きシャツ職人だ。

 

「包丁は体重を指先に集中させて、押し切る必要があるからです」

 

刃先を引きながら切ることはない。鋭利な刃先から柄にかけて押し流して切る。

 


左 上半身の体重を刃先に集中させて裁断する
右 2枚重ねの生地を鋭く切る

 

こうしてシャツ生地を裁断するのは日本だけだろうという。

 

「重ね切りをしても、上の生地と下の生地にずれが生じないからです」

 

どういうことか。シャツには襟や袖口など、裏表の生地を重ねて縫製する部位がある。

 

ハサミだと、重ねてある上の生地と下の生地を断ち切るときに、コンマ数ミリのずれが下の生地に大きめに出てしまう。肉眼では見えないずれだ。

 

しかし日本のシャツ作りは、そのコンマ数ミリのずれを妥協しないのだ。

 

指先でハサミを操るのではなく、独特な形をした包丁を使う理由だ。

 

平松慎吾はテーブルの上に腰掛けたとき全体重をダルマに伝えて、生地を裁断したのだ。

 


糊づけしたシャツの部品をアイロンで圧着させる

 

こうして平松慎吾が裁断した生地を、32歳の石川幸博が糊づけをする。

 

生地を重ね縫いする部位だけをまず糊づけして、それから縫製する。

 

現代ではめっきり減ったが、シャツをクリーニングする際に、糊づけをしてからアイロンをかけるのが日本式だった。その名残かと思った。理由は3つあると古永家大輔が言う。

 


外片ギリギリで縫われるシャツの襟

 

「まずは縫製のためです。縫い代をシャツの外片ギリギリに縫います。糊づけで圧着しておくことで上の生地と下の生地には隙間が生まれません。上下の生地の厚みが2ミリなら、2ミリで縫製糸を折り返し、3ミリなら3ミリで縫製糸を折り返し縫いあげます」

 

すると生地と生地を縫いつけたというより、重ねた状態で糸で結んだ状態になる。

 

当然、糸の微細な緩みもきつさも生じない。

 

スラッと薄くシャツは仕上がり、ほつれない。運糸の縫製技術は日本のシャツの誇るべき技術だ。

 

耐久性は生地の質だけではない。縫製によっても向上する。これが1つめの理由だ。

 

糊づけの2つめの理由は、日本にもたらされたシャツがイギリス製だったからだろうと古永家大輔は推察する。

 

「襟と袖口がピンとしていたイギリス式のシャツに影響を受けて、糊づけを前提としたシャツ作りを石川清右衛門をはじめとする多くの職人が目指したからでしょう」

 

3つめの理由は、和服、つまり着物作りに派生する。

 

着物の状態を最上に保管するために、日本では洗い張りという方法がとられた。しわの寄った着物を水洗して、広い板に貼りつけてピンと伸ばしてから、保管し、あるいは晴れの場に着ていった。古永家大輔は微笑する。

 

「ピンと無駄なしわがないのが、日本の服飾の美学ですから」

 

糊が水洗いで溶け出しても、生地と生地の圧着によって、しわが寄らない。

 

それでいて、どこにも堅さを感じさせない。そうした日本の伝統がシャツ作りに活かされている。それが3つめの理由だ。

 


古永家大輔がボタンをつける奥で石川幸博が生地をアイロンで圧着させている

 

古永家大輔は、法政大学の経営学部を卒業した後に、どうしてもシャツ職人になりたくて、自分で研究した。大和屋シャツ店に自分が縫い上げたシャツを持って飛び込んだ。

 

「まだまだですね。」

 

それが大和屋シャツ店の返事だった。工場に入って、研究と実作業を繰り返した。

 

初代石川清右衛門のたどった職人としての道と同じである。

 

日本の職人は、どうしたら自分の理想を実現できるか。その情熱から、若き日に職人への道を選ぶ者が多いと私には思える。

 


 

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