作家ではなく職人であれ
柘製作所のパイプ


 

日本でしか学べないパイプ作り

 

作家に弟子入りすることと、職人集団のなかに弟子入りすることは大きく異なる。
私は、てっきりマレーヌ・ミッケは福田和弘に弟子入りしたのだと思っていた。
違うという。

 

植草羊は言う。
「作家に弟子入りすると、その作家の持つ方向性に引っ張られてしまう。師匠の癖がどこかに残ってしまうわけです」

 

作家として名をはせたパイプは、作家の名前で売れる。細かい部分の矛盾も作家の個性として受け入れられる。いびつな部分も、使いにくさも、キズも、ゆがみも、また個性というオブラートに包まれて購入者には受け入れられだろう。

 

むしろ使いにくさを作家から与えられた宿題だと感じて、克服して喫煙しようとする愛好家は少なくない。

 

有名な作家の分かりにくさは、嗜好する者にとってはありがたい試練に変じる。
音楽もしかり、絵画もしかり、映画もしかり、小説もまたしかりだ。

 

マネーヌ・ミッケがベルト式ヤスリでパイプの表面を削る

 

「柘製作所は職人集団です。職人たちからもまれることによって技術力は確実に高まります。職人は、どんなに小さな間違いであってもそれを見逃しません。必ず使いやすい製品に仕上げます」
それを目の当たりにすること、体感することがマレーヌ・ミッケにとっては、またとない経験になるのだと、植草羊は言うのだ。
いろいろな工程を、いろいろな技術を、それぞれの職人たちから見て盗めるわけである。
ひとりの師匠の作品に傾倒しない。受け継いだりしない。
パイプとは何かというベースのうえに、技術や審美のうえに、作品としてのパイプは生まれる。

 

作品でありながら、道具としてのクオリティーは格段に高まることだろう。

 

確かな技術のうえに、マレーヌの作家性が伸びしろとして成長をみせれば、父ヨーン・ミッケに負けないマレーヌ・ミッケの作品が生まれることだろう。

 

マレーヌ・ミッケは福田和弘から指導を受ける

 

実際にマレーヌ・ミッケは柘製作所の職人たちにもまれている。
植草羊にこんな困惑を訴えることがあるという。
「みんな言うことが違う。どうしよう」

 

困惑のなかで、自分がどう考えるか。何を選択して、何を捨て去るか。まったく別の方法にたどり着くか。
パイプ作家、マレーヌ・ミッケは柘製作所に身を置いて格闘中なのである。

 

美しく、なおかつ手になじむカーブを削り出すのは至難の業だ

 

マレーヌ・ミッケが、サンドペーパーで手にしたパイプを削っていた。私は尋ねた。
「可愛らしいパイプですね。それがあなたの作品ですか」
「いいえ、これは柘製作所のパイプです」
「では、あなたのパイプはどこにあるんですか」
「まだありません」
答えは、Not yetだったのである。

 

80代の福田和弘と20代のマレーヌ・ミッケ

 

マレーヌ・ミッケは、パイプ作家として2017年5月に米国のシカゴパイプショーで作品デビューをする予定だ。

 

日本の職人から学んだパイプ作りは、マレーヌ・ミッケという作家に、どんな花を咲かせるのだろうか。

 

Not yet……。それはまだ世界の誰も知らない花である。

 


取材・文章/浦山 明俊
撮影/川口 宗道

 


 

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