日本刀の技が作り出す刃物・トヨクニ


 

鉄は熱いうちに打て!の本当の意味

 

トヨクニの工場に濱口誠が立つ。2003年には、

 

「私は6回叩く。父親や兄は、3回で思い通りの金属加工に仕上げる」

 

と言っていた。2016年の濱口誠は、まさに3回で仕上げる職人であった。

 

「父親に追いつくのには、40年の歳月がかかりました」

 

4歳のときから、父親の工場の片隅で、鍛冶の職人の真似をして遊んでいた。

6歳になると、ニス塗りなどの簡単な仕事を任された。

 

「お菓子を欲しくて、アルバイトしていたわけですね」

 

遊び半分とはいかなかった。

 

ホウ酸水をかけて鋼と鉄の接着を強固にする

ホウ酸水をかけて鋼と鉄の接着を強固にする

 

「ハンマーのたたき方、刃物の研ぎ方、鍛冶としてのフォームをたたき込まれました」

 

1100度の、黄白色の炎から引き出された赤白く輝く鉄に、ハンマーが打ち込まれる。

初めの数打は、柔らかく打つ。この段階での鉄は、粘土細工程度の柔らかさだ。

 

焼けた鉄の表面からは、灰がはらりと薄い膜のようにはがれ落ちる。

 

鉄に含まれる炭素などの不純物だ。

鉄は純度が高いと柔らかくなる。

 

「固く仕上げたいときには、ある程度の不純物を残すんです」

 

その加減も、手応えで察知する。

柔らかく叩いた後は、すかさず強打する。

 

「鍛冶の仕事は、段取りと手応えなんです」

 

打ち込む打数が少ないということは、次に鉄がどのような状態に変化するのかを先読みして、必要な瞬間に、ベストタイミングでハンマーで叩く技術が備わっているということである。

 

「腕に伝わる反動で、鉄の状態を常に意識しているわけです。手応えで、鉄と会話する感覚ですね」

 

かつて、父親や兄にかなわないと思っていたのは、この鉄との会話力だったのかもしれない。いまや濱口誠は鉄との会話に言葉を失することはなくなったのだろう。

 

鍛造とは、鍛えて造ると書く。

鉄は鍛えるのであって、叩き込み、征服するものではないのだ。

 

叩かれて次第に刃物の形が現れる成形作業

(左)叩かれて次第に刃物の形が現れる成形作業

(右)原材料は鋼と鉄を割り込みさせた後に20年くらい寝かせる

 

「鉄は熱いうちに打て」

 

という日本語の格言がある。

意味合いとしては

「形が定まらないタイミングで、形を与えるように心得ろ」

となろうか。日本では、成長期の若者を指導する際の心得として、よく「鉄は熱いうちに打て」と例える。形ができあがり始めてからでは、遅いのである。

 

「思い通りの人間にするために型にはめろ」とは言っていない。征服ではない。支配ではない。次にどんな状態になるのかを見極めて、会話をしろという格言なのである。

そこで必要なのは段階を察知する能力である。

「鍛」という文字は「金」属に「段」階と記す。

 

熱せられて変化している金属が、どの段階にあるのか、次にどの段階に移行するのかを見極める能力を「鍛える」と記しているのだ。

 

人間の成長も、金属加工も、後戻りはできない

人間の成長も、金属加工も、後戻りはできない。

 

写真家の川口宗道は、濱口誠の仕事を撮影していた。

写真家の要望として、被写体となる人物にポーズをとってもらうケースはよくある。

 

人物撮影となれば、ポーズの要望はむしろ当たり前である。

「あっ、いまの……」

と川口宗道はカメラを構えながら言葉を発した。

 

赤く熱せられた鉈を濱口誠が、台から持ち上げた瞬間だったように思う。

 

「無理です」

 

と濱口誠は短く返答し、赤く燃える鉈にホウ酸をかけて、再び炎の中へと投入した。

 

一瞬の出来事だった。1秒あるかないかのことだった。

川口宗道は、そのポーズを撮影したいので、一瞬でいいから停まって欲しいと思わず言葉を発したのだと思う。

 

しかし濱口誠は、たった1秒でも止めることはできなかったのである。

 

その1秒のうちに後戻りはできない鉄の変化の状態を感知し、次の段階へと進めたのだ。

 

「鉄は熱いうちに打て」

という格言を私は誤解していた。

 

「まず見極め、そしてハンマーを打ち込め」

ではない。

 

「全身全霊で、その物、その人物と向き合い、変化の流れに従うのが鍛える者の責務だ」

と解釈するのが本当の意味ではないだろうか。

 

1100度の炉

(左)1100度の炉

(右)焼けた刃物にくさびを打ち込む

 

濱口誠の全身が動く。私は取材のための質問を投げかけることをしなかった。

 

いやできなかった。無言で、戦いに臨む侍のように濱口誠は動く。

 

刃物の形が漠然と現れる。濱口誠の手が刃を研ぎ、磨いていく。

 

「そうか、流れだ」

と私は気がついた。濱口誠の身体の使い方は武術の達人に似ている。

 

背筋を伸ばし、最短の歩幅で歩き、呼吸は深く、手は指先に至るまで無駄な動きをしない。仕事の流れに、時間の流れに、金属の変化の流れに従っている。

 

日本の武道は、とくに剣道は、流れを重視する。

日本刀を操る動作は流れに逆らわない。流派という言葉がある。

 

神道無念流、北辰一刀流、直(じき)心陰流、鞍馬流、小野派一刀流、示現(じげん)流……。列挙しきれないほどの剣の流派が、日本のあらゆる時代に生まれ、あらゆる土地に生まれた。それでもすべての流派が、剣のさばき方を「流」と称した。

 

術でも、型でもなく、流と称することが日本刀を操る者たちには自然だったのである。

 

弟子を指導する まさに「鉄は熱いうちに打て」だ

弟子を指導する まさに「鉄は熱いうちに打て」だ

 

日本刀を鍛造する技術で、様々な刃物を鍛造するトヨクニの濱口誠の仕事が、流れるように進められるのも、日本的精神を反映しているようで興味深い。

 


 

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