生地が美しく蘇る魔法の穂先 南部箒


 
2015年6月に、私は迷わず高倉工芸の作った、南部箒の和洋服ブルームを購入した。
半年前に、着用していたピアツェンツァのカシミアのコートが新品のような艶を取り戻すことに感激してから、欲しい、欲しいと思い続けた末の購入だった。
 
箒なら知っている。1960年代までなら、日本の家庭に当たり前にあった。
電気掃除機より以前は、箒で畳を、床を掃除していた。
 
洋服ブラシなら知っている。ケントの他にも、たくさんの洋服ブラシを使ってきた。
ホコリを落とすだけではない。服地の繊維を整えて、光沢のある生地に仕上げる。
ウール用、シルク用、カシミア用、和装用と数本を使い分けてきた。
私は、帽子用のブラシまで、イギリスのケント製を使ってきた。
 
箒は、箒草というイネ科の植物の穂先を束ねて作る。
洋服ブラシは、豚毛の毛先を植えて作る。
 
どちらも、真っ直ぐな穂先、毛先が理想のはずだ。
 
だが、南部箒の穂先は、縮れている。
 
服地にしても、カーペットにしても、ホコリはミクロ単位で複雑に絡み合っている。
 
真っ直ぐな穂先だと、穂の隙間から、せっかく捉えたホコリを逃がして、また繊維に残してしまう。
 
南部箒の、穂先の縮れは、あらゆる方向に絡み合ったホコリを、縮れによってかきだし、繊維を一定方向に調えることができる。柔軟でありながら、コシが強い穂先でないとできない。
柔軟さと堅牢さという矛盾した特性を兼ね備えるのが、縮れた穂先なのである。
 
種まきは5月20日と6月10日前後で、収穫は8月20日頃から9月末日まで続く。
 
それ以外の季節、つまり10月から翌年の4月までは、雪深い工房で、南部箒を手作業で編む。
編み上げることができる職人は3人しかいない。
 
栽培地は1.5ヘクタール。青々とした原料の作物が縮れた穂先を伸ばすのは夏の終わりだ。
 
だから私たちは岩手県九戸村にある高倉工芸をめざして、東京から車を走らせた。
走行距離およそ600キロメートル。
8月19日午後10時に東京を出発して、高倉工芸にたどり着いたのは20日午前8時だった。
 
高倉清勝は、東京で会ったときの印象と違う。職人の顔と服飾ではない。
野良着に身を包んだ農業従事者の顔と服飾であった。
 
すでに収穫作業が始まっていた。
 
原料の収穫
原料の収穫
 
まったく私は間違えていた。
高倉工芸に向かう途中で、すでに見ていたのだ。南部箒の原料となる作物を。
 
20年以上にわたり、私は日本各地に赴いて、農作物の栽培の現場を記事にしてきた。
東京生まれの東京育ちである私は、最初は田と畑の区別すらつかなかった。
しかし20年以上の取材経験で、畑地に生える雑草の種類や害虫の名前もマスターしていた。
 
「ああ、トウモロコシの畑がある」
と、私は車中のスタッフに説明までしていた。
 
そのトウモロコシと見間違えた植物こそが、ホウキモロコシ。南部箒の原料だった。
 
原料のホウキモロコシに囲まれる筆者
原料のホウキモロコシに囲まれる筆者
 
私が知っている箒草は、イネ科の米の仲間の植物である。その栽培地になら取材で訪れたことがあった。
だから私は、てっきりイネ科の米の仲間の/箒草の畑に案内されるものだと思い込んでいた。
目の前に生えているのは、どう見てもトウモロコシだ。いや茎が長すぎる。その違いを見逃していた。
 
南部箒の箒草は、イネ科だが、トウモロコシの仲間の植物だという。
食用トウモロコシのように実をつけることはない。
もっぱら穂先を収穫するためだけに栽培されている。
しかも収穫は、すべて手作業である。農耕機械はもちろん、鎌さえ使わない。
 
高倉清勝が畑に立ちながら言う。
「ホウキモロコシは、どこで栽培しても穂先が縮れるわけではありません。東北の岩手県九戸村の寒暖差が激しい風土が、穂先を縮れさせるのです。それに加工の方法も、この縮れを生み出すためには欠かせません。岩手県九戸村だからこそ、品質が保てるのです」
 
まったく私は間違えていた。
8月20日を過ぎた岩手県は、東京よりも涼しい。
 
だから盛夏のカジュアルな服装ではなく、都会ではやや蒸し暑く感じられる夏スーツを着るくらいでちょうど良い。私はターンブル&アッサーのシャツとネクタイに、ヒッキーフリーマンの夏ウールのスーツを着て高倉工芸を訪問した。紳士が紳士を訪ねるときの礼儀を守るためにだ。
 
午前中は、私の判断は正しかった。しかし正午を過ぎると、私は後悔した。暑いのである。
 
収穫の様子を取材して、穂先に残っている小さな実を脱穀機で、ふるい落とす作業を取材していた午後1時頃になると、真夏の暑さに包まれた。
 
34.5度にまで気温が上がっていた。
「真冬にはマイナス18度にまで気温は下がります」
と高倉清勝が言う。
 
夏の猛暑と、冬の極寒。それは予想していた。
日本の6月は、夏の入り口でありながら梅雨の季節である。
長雨が続くために、東京でも20度前後の肌寒い日々はある。
 
「6月は山背と呼ばれる岩手県の山岳地域に独特の寒い風が吹きます。ダウンジャケットを着ても寒さに凍えるような風が山から吹き下ろしてくるんです。その風の冷たさもまた、箒の穂先を縮れさせるんです」
 
春は温かく、夏は暑く、秋は涼しく、冬は寒い。それが日本の季節の巡行である。
 
ところが、春に温かく、梅雨に寒く、そして夏には猛暑が訪れる。秋は短く、冬は極寒だ。
それが九戸村の季節の巡行なのである。
 
それだけではないと私は確信した。
一日のなかに、寒暖差が訪れる。
 
絶妙な角度で曲がる穂先群
絶妙な角度で曲がる穂先群
 
九戸村を歩いた。
朝顔が咲いている。ヒマワリが咲いている。タチアオイが咲いている。
夏の色に九戸村は彩られている。
 
コスモスが咲いている。キキョウが咲いている。ススキが穂を伸ばしている。
秋の植物もまた九戸村を彩っている。
 
蝉が鳴いている。クロアゲハが飛んでいる。
そう気がついて、耳を澄ませるとコオロギが鳴いている。アキズトンボが飛んでいる。
夏の虫と、秋の虫が共棲しているのである。
 
この奇妙な景観も、耳に矛盾する虫の鳴き声も、ずっと続くわけではあるまい。
おそらく、8月20日前後のわずか数日だけなのだろう。
 
朝は秋、昼は夏。そして陽が沈むとまた秋の気温になる。
 
夏と秋とは入れ替わるのではない。
九戸村では、夏と秋とがせめぎ合うのだ。
 
ホウキモロコシの穂先が縮れる寒暖差は、おそらく四季の巡行だけによるものではない。
夏と秋とのせめぎ合いが8月の収穫期の数日間に繰り広げられる。
 
「縮れる穂先に育つには、寒暖差が欠かせないんですよ」
と語る高倉清勝の言葉は、単純な季節の巡行だけを意味しているのではないと思った。
 
寒暖の差が生む穂先
寒暖の差が生む穂先
 


 
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