エボナイト万年筆 – 笑暮屋


 
笑暮屋の万年筆がこれほどに優秀でありながら、世界に普及し、知れ渡っているとはいえない理由は何か。
それは、笑暮屋の母体である日興エボナイトは大企業ではなく、町工場だからだといえる。
 
日本の3大万年筆メーカーといえば、パイロット(かつてはダンヒルナミキで知られた並木製作所)、セーラー、プラチナである。大企業である。
品質の良い万年筆を製造し、販売したから世界中にファンが多い。
しかし品質の良さだけが普及の理由ではない。
広告宣伝費をかけ、営業マンを置き、世界中の百貨店や文房具店に商品を陳列した。
そして大量生産を実現して、世界の万年筆ファンを、筆記具ファンを獲得した。
私もパイロット742や、セーラーマイカルタや、プラチナ金魚を愛用している。
どれも書き心地が良い銘品の万年筆である。
 
だが、世界に1本だけの万年筆ではない。
私の期待に応えて、心地よい筆致をしてくれるときもあれば、それは私の体調や精神状態によるのだが、どうしても文章がすらすらと書けないときもある。
そんなときの万年筆は、他人のようによそよそしい。
 
心落ち着く店舗内
心落ち着く店舗内
 
優雅で高品質な逸品
優雅で高品質な逸品
 
笑暮屋は大企業ではない。
だから広告宣伝費もかけないし、多くの営業マンを雇って世界中に自社の万年筆を陳列することもしない。
そもそも大量生産をしないというより、できないから、東京の下町、荒川区にある販売店舗も、毎週の水曜日と金曜日の、しかも13時から18時までしか営業しない。
今日も丹念にコツコツと注文してくれた人のために、世界に1本しかない万年筆を造る。
日本中から、あるいは世界各国から、カスタムメイドの注文が寄せられる。
 
笑暮屋の社長にして、その母体工場である日興エボナイトの遠藤智久社長は言う。
「我が社は町工場です。従業員は全員で9名です」
日本には、分をわきまえるという考え方がある。
辞書をひくと、こう解説されている。
「自分の身の程や分際を承知して、出過ぎたまねをしない。でしゃばった行動を控える」
分をわきまえることは、日本人の美意識である。
 
美意識であると同時に、サバイバル戦略でもある。
私の好きな老舗弁当屋がある。日本橋弁松という弁当屋は、1810年の創業だ。160年の歴史がある。三代目樋口松次郎の時代、和食レストランよりも、弁当販売が主流となり、「弁当屋の松次郎」を略して「弁松」と呼ばれるようになった。1850年のことである。
今でも、白いご飯に梅干し、焼き魚、煮野菜、卵焼き、甘く煮た豆だけのシンプルな弁当を売っている。
私は50年にわたり弁松の弁当を食べているが、味に飽きたことはない。
1週間に1度は、食べたくなる美味なのである。
東京の、しかも日本橋か銀座のデパートでしか買えない。半径5キロ圏内でしか買えない。
東京より他の都市には進出していない。知る人ぞ知る、しかし毎日売り切れる弁当である。
だから倒産しない。拡大発展は、倒産の危機がある。
 
私が惜しむ、かまぼこ屋がある。神奈川県小田原市の美濃屋である。
450年前の1560年に創業した。
魚肉加工食のかまぼこを日本食の代表的食材にまで定着させた老舗だった。皇室への献上食品の栄誉に輝いていた。小田原でしか買えないかまぼこだった。
2010年代に、全国に販売網を拡大した。日本全国のデパートで購入できるようにした。
しかし高級食材である。価格はかまぼこ1本で4000円。
一般家庭用のかまぼこは1本が300円程度で買えることを考えると、手が出せない。
いくら高品質で、手間をかけたかまぼこであっても、それを理解していない人たちは、簡単には購入してくれなかった。
拡大発展の落とし穴がここにある。
生鮮食品であるかまぼこは、全国で売れ残り、廃棄された。
資金繰りに行き詰まり、美濃屋は2015年1月に倒産した。
拡大発展に乗り出したために、450年の歴史を、たった数年で閉じる羽目に陥った。
 
世界企業に登りつめたマクドナルドも、経営には苦労していると聞く。
拡大発展は、ときに目が行き届かず、ときに品質を落とし、そして倒産の危機を招く。
弁松は、拡大発展をしない。それなのに今日も売り切れる。
わざわざ買いに来る顧客が、絶えないからである。
 
伝統とモダンの融合した店舗外観
伝統とモダンの融合した店舗外観
 
笑暮屋は、分をわきまえた経営に徹している。
だから大量生産に踏み切らない。
品質は高水準に保たれる。
日本的経営である。
笑暮屋は、希少価値の高いことを逆手にとって、高い値段をつけたりはしない。
淡々と質素に顧客の求めに応える万年筆を造り続ける。
対面販売ではない場合でも、会ったことのない注文主の満足する万年筆を造り上げる。
 
遠藤智久社長は言う。
「想像力ですよ。注文してくれたお客様が、どんな人柄で、どんな仕事に就いていて、どんな手をしていて、どんな書き癖があって、どんなシーンで万年筆を使うのか。オーダーシートに書かれた情報を徹底的に読みます。オーダーシートに書かれていない情報まで想像力で察するんです。万年筆のためのエボナイトを削り始めるのは、それからです」
 
察する。
それもまた日本の美意識である。
相手が言葉にしないことでも、何を求めているのかを想像して、先回りして行動する。
日本人の行動原理は、察することにある。
「おもてなし」は、相手の気持ちを察するからこそできる日本流のサービス提供の形態である。
日本の職人は、察することに徹底した技能者たちなのである。
今日もまた、笑暮屋は、注文主が万年筆を手にどんな文字を書くのか、ときにどんな絵を描くのかを察しながら、その人のためだけの万年筆を造り続けている。
 
http://eboya.net/
 
笑暮屋店主
笑暮屋店主
 
取材・文章/浦山 明俊
撮影/川口 宗道
 


 
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